2017年6月20日火曜日

ネットの書き込みを見て思うこと

もう歳なんだなと思うことが最近あります。

それは、ネットの書き込みなどを目にしたときによく思います。
自分は、まだ「パソコン通信」なるものしかなかったときから、ずっとネットに接続していて、技術や人類の英知の恩恵を授かってきました。中には、無駄な情報や、不愉快な意見などもありますが、正確か、不正確である問わず、たくさんの人がそれぞれの意見を持っていることを常に尊重しています。
ネットが現在のように普及するにつれて、ネチケット(ネットでのエチケット)がひどく乱れてきていることを痛感します。
まあ、2chに代表する匿名性ならではの本音でのやり取りとストレスのはけ口としての意義は認めますが、その感覚で誰が読んでも不快なコメントや、アプリなどの酷評(クソ!とだけで何が悪いのかは書かないなど)があまりにも多くてがっかりします。

普通に現実社会で生活していても、面白くないことや、不愉快に感じることは多々あると思います。
だからこそ、「なにが、どうして、なんなのか」という一番シンプルなやり取りが重要だと思います。

自分の趣味や思想や価値観と違うからと言って、匿名性の陰に隠れて、相手を一方的に非難するのは、歳をとった自分としては「責任をもった発言やコメント」とはならないと思うし、自分の価値を下げるばかりでなく、誰のためにもならない。ただ、初めから「責任」なんて取りたくないから発言しているケースも理解はできますが・・・。
まあ、ヘイトスピーチに関しては、法律もできたので、徐々に取り締まられていくとは思いますが、たとえ、それが法律でなくとも、もう少し相手の立場に立ったやり取りができれば、世の中はもっと平和になるだろうなと思います。

誰かも言ってましたが、自我に目覚めた瞬間から、他者との闘争が始めるわけですが、自我を尊重してほしいなら、同様に他者の自我を尊重しなければならないわけです。
ものすごく簡単な自分自身での確認方法は、「受け止める側の相手が、どのように思い感じるか」をその相手の立場に立って考えて、発言するなり、コメントするなりのフィードバックをすればいいわけです。
自分から言わせると、宗教戦争とか、人種差別とか、見解の相違とか、別に自分と直接的利害関係が無いものに関しては、いい意味でスルーしています。
だって、他人の価値観を変えることは、ほぼできません。自分の力で変えることができるのは、自分自身だけですから。
もちろん、やられたら、効果的にやり返すのは理にかなっていると思います。
そして最後に、仮に世界が1つの価値観(善悪に関係なく)で統一されてしまったら、たった1つの過ちで人類の文明も滅びます。自然界の多様性と同じで、文明にも多種多様性が必要なのです。

そんな自分も嫌いな人間とかは、もちろん存在します。
自分が「その人を嫌いだ」とわかってもらえるように努めています。笑