2016年4月4日月曜日

今日は息子が会いにきてくれた

息子と娘とは、離婚した関係で別居している。

息子の方から今日を指定してくれて、11時頃にと約束していた。
高校生だから、寝坊して、連絡が来たのが11時だったw
高校生のころ、眠かったよなw わかるよw

塾も夕方あるから、数時間しか一緒に過ごせないので、息子が大変だから「いいよ、今日じゃなくても」と伝えたけど、来てくれた。
とてもうれしかった。

僕は、子供たちが幼いころから、ほとんどずっと病んでいて、子供たちに会うことも、父親らしいこともちゃんとしてきてあげられなかった。ダメな父親です。養育費も払えなかったり、いまも気持ちだけで、何もできない。

でも、息子は僕とは違って、自分で考えて、きちんと行動できるりっぱな高校生に育ってくれました。娘も受験生、頑張ってるみたいです。
息子自身のがんばりと、元妻のご実家含め、皆さんの支えが、彼を立派に強くしてくれました。
小さい頃は、泣き虫で、ちょっと注意しただけで泣きながら頭を打ち付けるような実直すぎるような子だったのが、嘘のようです。

ここ最近は、2ヶ月くらいに一度は会えてるような感じだけど、息子の方が、僕よりも忙しいw

僕の体調が少しづつだけど、安定しつつある?ので、一緒に同じスマホゲームをやったり、LINEしたりして、コミュニケーションが復活して来ています。

今日は、二人で牛丼を食べて、
少し昔話(僕の自己満足かな)をして、
僕の気持ちと息子の気持ちをお互いに少しでも分かり合いたくて、話ができてうれしかった。二人でゲームもした。二人でいっぱい笑ったw

息子と娘が生まれた後にあまり続かなかったけど、実はまだ赤ちゃんの二人が大人になったときに読んでもらおうと思って書いたノートがあるんだ。
それは、まだ取ってあるけど、
僕の人生最良の日は、「龍(ろん)と麗(れい)が生まれた日」だと断言できる。
その時、元妻の頑張りにもとても感謝したことももちろん憶えている。

そして、一番悲しかったことは、小さな息子が母親に手を引かれながら、
「イヤだよ!僕はパパとここにいる」と泣き叫んだこと、一生僕はその悲鳴から逃れることはできない。僕も、壊れかけていた心が、さらに壊れた音を自分で聞いてたよ。
ごめんな。

僕は、まわりの家族から、
「また病気のせいに何でもして」とか
「徹の代わりに俺が勉強観てやってんだぞ」とか
「子供たちが可哀想だと思わないのか?!」とか
病気で困ってるのに「無心」とかマジに言われる。
「信用ならない」って、どうして穏やかに環境や接し方を考えてくれないのかはわからない。たまに話せば、「指図」と「頑張れ」ってNGでしょ。

不思議なもので、電気、ガス、水道の全てが今復活したのは、血縁からの支援ではなく、遠くはなれた友達のおかげです。ありがとう!

確かにそういう父親らしいことはきちんとできなかったし、仕事がまだできたときも、
プライベートな時間が自分でうまく取れなくて、精一杯で、既に病気だったことも事実なのにわかってもらえない。父親なんて、僕の子供時代、一緒に暮らしてるだけで、育児や家の事はほとんど母親に任せっきりだった。
早く帰ってきても一杯やって、「ちゃんと勉強しろ」とか指図してさ。
そういうのもあって今、母は弱ってしまっているのかもしれないのに、父親論とか毎度ぶつけてくるし、正直、親と真ん中の弟にはうんざりだ。
この話、弟の言い分を別で書きたいと思う。すごい理屈なんだよ、これがw

「病気でもって気の毒だと思ってるよ」って、
心にも無い言葉はお互いに信用できないレベルですw
ガン患者に、「気合で、走って頑張れば治る!」とかいうのかってw

でも、息子と娘は、
「もうわかってるから、大丈夫だよ。パパ」と励ましてくれたりします。
自分の遺伝子から、そんな心の美しい存在が誕生したなんて、正直信じられないくらいで、残りの半分が良かったのかもしれないとも時々思うw

今の僕に出きることはほぼゼロに等しいけど、
今まで苦労をかけた分だけ、元気になったらいろいろと一緒にしたいことがある。
そのためには、病気を治せる環境を自分で整えないといけないね。
今は本当に貧乏で、正直、辛すぎるけど、
子供たちの成長を願うのと同様に、病気と戦います。

時々、苦しくて、自分の事だけで忘れそうになるときがあるけど、
僕には、愛する子供たちがいる。
マイナスを清算して、プラスに変えていきたい。

どうやって、無理無く、やっていくか、
そればかりを督促の電話が鳴り響く毎日の中で必死に考えている。

そう、僕なりに必死に考えている。。。(長い・・・すぎ?!)